犬山城について

犬山城の概要
(別名 白帝城。尾張徳川家の付家老成瀬氏の居城)
犬山城古絵図犬山城属地絵図(部分)
 元文5年(1740)
 犬山城は木曽川沿いの標高約85mの小高い山(城山)の上に築かれ、山の斜面を利用して5つの曲輪を構成していました。山頂部分に本丸を構え、天守の背後は木曽川まで落ちる断崖で、本丸の南側斜面を造成して大手道と曲輪が造られています。
 犬山城の築城は天文年間(1532〜55)の初め頃、織田信康が木之下城から移したことに始まると言われています。天守の創建年代は断定できる史料はなく、諸説が唱えられています。当初は二重二階だったものに増改築が加えられ、16世紀末から17世紀初め頃に今の姿になったという説が現在では有力です。

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■天守の構造(概略)
天守正面図 天守断面図
天守正面図 天守断面図
天守の高さ 約24メートル(内石垣の高さ 約5メートル)
望楼型、3重4階、地下2階
1階
 南東と北西に付櫓があります。中央部は四室が配置されており、その周囲は武者走りとなっています。四室のうち南西にある上段の間は床が一段高い畳敷で、室内には床、棚などを設けています。ここは、昭和大修理(昭和36〜40年)の調査で文化(1804〜18)頃に改造されたものと推定されています。
2階
 中央に武具の間があり、その周囲に武者走りがあります。武具の間の東・西・北に武具棚を設けてあります。昭和大修理で墨書銘が見つかり、延宝3年(1675)に付加されたものであることが分かりました。
3階
 入母屋屋根の中にあり、望楼部分の下部になります。創建当初は2階の屋根裏にあたりましたが、望楼の増築に伴って3階となりました。南北には唐破風が設けられています。
4階
 最上部の望楼部分にあたり、周囲を廻縁と高欄が巡ります。中央の高欄の間に絨毯が敷かれているのは、昭和大修理でこの部屋から絨毯生地の一部が発見され、もともと絨毯敷きであったと判明したことによります。
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犬山城主成瀬家
成瀬正成
成瀬正成像
成瀬正成像 白林寺蔵
 永禄10年(1567)成瀬正一の長男として三河国で誕生しました。幼名は小吉。幼い頃から徳川家康の小姓として仕え、天正12年(1584)小牧・長久手の戦いが初陣で首級を挙げました。慶長5年(1600)冬には堺の政所、その後の家康の駿府政権では年寄をつとめ、同12年には、従五位下隼人正に叙任されました。また、慶長15年、徳川義直(初代尾張藩主)の付家老となり、同17年から本格的に尾張の政務を執るようになりますが、駿府政権の年寄であることに変わりはありませんでした。元和3年(1617)徳川秀忠から犬山城を拝領し、晩年の知行高は3万石でした。寛永2年(1625)江戸で死去、遺骨は日光山家康廟の傍らに葬られました。義直は正成の死を悼み名古屋に東海山白林寺を建立しました。
犬山城主成瀬家歴代一覧
生年〜没年 出自 法名
初代 まさなり
正成
永禄10(1567)?.26〜
寛永2(1625)01.17
正一長男 白林院殿直指宗心居士
二代 まさとら
正虎
文禄3(1594)〜
寛文3(1663)05.09
正成長男 乾龍院殿一岳宗無大居士
三代 まさちか
正親
寛永16(1639)03.11〜
元禄16(1703)09.20
正虎長男 柏貞院殿節功良忠大居士
四代 まさゆき
正幸
延宝8(1680)06.21〜
寛保3(1743)08.10
正親長男 随峯院殿実相転幽大居士
五代 まさもと
正泰
宝永6(1709)06.29〜
天明5(1785)06.20
正幸長男 諦幻院殿泰翁宗峻大禅定門
六代 まさのり
正典
寛保2(1742)01.03〜
文政3(1820)10.18
正泰次男 一珠院殿自得日慶大禅定門
七代 まさなが
正寿
天明2(1782)02.23〜
天保9(1838)10.27
正典四男 舜徳院殿泰岳道寛大居士
八代 まさずみ
正住
文化9(1812)09.30〜
安政4(1857)09.19
正寿長男 淳教院殿一貫以道大居士
九代 まさみつ
正肥
天保6(1835)12.12〜
明治36(1903)02.04
青山忠良三男 興徳院殿高節英嶽大居士
『成瀬氏世譜国字伝』、『御法号附并御忌日御寺附之御略系』、『成瀬家譜』による

 慶応4年(1868)1月、太政官から成瀬正肥(九代)が藩屏に列せられ犬山藩が誕生しました。明治4年7月、廃藩置県の詔が発せられ、正肥に免官の辞令が授けられ犬山県となり、犬山県時代は短く同年11月、名古屋県に吸収合併されました。
 犬山城は明治政府の管轄となり、明治6年に廃城と決定されました。また、同8年には城山全体が公園(稲置公園)となり、櫓や門などは次第に売り払われていきました。その後、明治24年の濃尾地震で犬山城天守は大被害を受け、愛知県から正肥に修復を条件として無償譲渡されました。以後、正雄(十代)、正勝(十一代)、正俊(十二代)と平成16年3月まで成瀬家が代々犬山城を所有してきました。
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