成瀬正成・竹腰正信連署状
- 元和4年(1618)
元和5年に、尾張藩は岐阜町(現在の岐阜市)を含めて美濃国内に5万石の領地の加増を受けました。この書状はおそらく前年のもので、尾張藩国奉行の藤田民部にあてて加増のことを知らせ、「内々にその心得をするように」と述べています。日付の下にある「成隼人正」が成瀬正成、「竹山城守」は同じく尾張藩付家老であった竹腰正信です。
元和5年に、尾張藩は岐阜町(現在の岐阜市)を含めて美濃国内に5万石の領地の加増を受けました。この書状はおそらく前年のもので、尾張藩国奉行の藤田民部にあてて加増のことを知らせ、「内々にその心得をするように」と述べています。日付の下にある「成隼人正」が成瀬正成、「竹山城守」は同じく尾張藩付家老であった竹腰正信です。